セイロンのお茶栽培
1796年、イギリスはオランダとの戦争に勝利したことにより、セイロン、現在のスリランカを獲得します。当時のセイロンは、コーヒーの産地でした。開拓された広大なプランテーションでは、インド南部のタミル人などを労働者として移住させ、コーヒーの生産で栄えます。美しいイギリス風の建物もたくさん建設され、リトルロンドンとまで呼ばれる美しい街並みが各地に広がっていました。
ところが19世紀半ば、コーヒーの病害が発生、プランテーションはほぼ壊滅的な状態に陥ります。セイロンの経済は破綻し、多くの農場主が倒産しました。残った農場主らは巻き返しを図って、キナノキという植物の栽培に着手します。キナノキは、マラリアに効果があるとして高値で取引されていたのです。ところが、これも供給過剰になったことで価格が暴落。農場主らは再び危機に見舞われます。
そこで、次に取り組んだのが「お茶」の栽培でした。
ジェームズ・テーラー
起死回生をはかるセイロンで、最初に紅茶の生産に成功したのは、ジェームズ・テーラーというスコットランド人です。
彼は、農場の人たちとさまざまな努力を重ねながら、アッサム種の栽培に成功します。さらに独自の揉捻機を開発して、茶葉の紅茶への加工にも取り組みました。やがて19世紀後半には、セイロンで生産された紅茶は、ロンドンで高い評価を受けるようになります。
テーラーは57歳の生涯を閉じる瞬間まで、現地での人々とともに、茶樹の栽培と紅茶の生産に尽力し「紅茶の神様」とまで呼ばれました。
生涯独身。
彼が、休暇を取ったのは、ダージリンへの研修に行くためのわずか2週間のみであったそうです。まさに、紅茶と結婚したような人生だったといえるでしょう。彼の茶園は、人々に受け継がれ現在でも紅茶を生産しています。
彼は、いま、スリランカのルーラコランデに静かに眠っています。