ウーバンアビーのアフタヌーンティー
国外は、アヘン戦争でキナ臭い1840年ごろのこと。産業革命によって、イギリスの人々の生活スタイルに変化が生じ始めていました。
ランプなどの普及によって、暗くなっても仕事ができることから、勤務時間が延長されたり、あるいは暗くなってからの社交が多くなったりしてきたのです。すると、昼食と夕食の間の時間が長くなりますね。現在の私たちも、夕方になるとちょっとお腹が空いてきます。
そこでオヤツなどをちょっといただくと……太る。
ということで、夕食までは我慢するわけですが、何かつまめるものがあると、まあ、いっかと、口に入れてしまう……ということは、よくある話。
当時のイギリスの人たちも、まさに夕方になるとそうした空腹を覚えるようになっていました。
イギリスの名家、ウーバンアビーのベッドフォード公爵夫人アンナ・マリアは、夕方になると、お腹が空いて憂鬱になってくる、といってお茶とともにバターつきパンを食べることが習慣になっていました。
公爵夫妻の屋敷は、常に多くのゲストが滞在しており、夫妻はその接待に追われていました。公爵が、男性客らとの狩りへ出かけると、その間マリアは、女性のゲストを応接室(ドローイングルームDrawing room)に招き、お茶やお菓子でもてなすことを始めます。
これが、アフタヌーンティーの始まりです。
マリアは、もともとロンドンの宮廷に使えていましたから、洗練された教養とセンスの持ち主でした。そんなマリアの「午後のお茶会」は、上流階級の女性たちの間で評判となり、同じように楽しむ女性たちが増えて、あっという間にこの習慣が流行していきます。
1841年、ヴィクトリア女王が夫のアルバート公とともに、マリアからアフタヌーンティーの接待を受けたことをきっかけとして、王室にまでアフタヌーンティーの習慣が定着、王室主催のアフタヌーンティーも催されるまでになりました。こうして上流階級の人々の間に大流行したアフタヌーンティーが、さらに中産階級の女性たちの憧れとなって広まっていくのです。
実はけっこう大変なアフタヌーンティー
いったい、だれを招待すればいいの!?
さて、19世紀にアンナ・マリア公爵夫人が、お茶と軽食でゲストをもてなしたことから始まったアフタヌーンティー。
あっという間に上流階級に広まりましたが、桁違いの富裕層から生まれた習慣ですので、かなり贅沢でかつ面倒なものでもありました。
アフタヌーンティーを企画する際に、最もはじめに行うべきことが、招待客を決めることです。今日でも結婚式などでは特に、招待客選びにはかなり頭を悩ませるものですよね。あの人を呼んだら、こっちも……、この人よりあの人のほうが先……等々、人付き合いというのは難しいものです。当時のイギリス上流社会もその例にもれず、招待する・しない如何によってはやはりその後の人間関係には大きな影響があったらしく、相当に気を使うものだったようです。特に、嫁いできたばかりの若い奥様は、その家の人間関係がよく呑み込めていません。
そんなときにたよりになったのが、バトラー、執事です。
執事は世襲制で使えることが多いので、その家の古くからの人間関係には、誰よりも詳しいというわけです。しかも、さすがというべきか、執事には執事同士の情報ネットワークがありました。そうした情報をもとに、若奥様にアドバイスをするわけですから、執事に相談すればカンペキ!!ですね。
Drawing roomの準備はぬかりなく
招待客をリストアップししたら、次は応接室Drawing roomの準備。もっとも大切なのは、茶会の雰囲気です。
クロスやカーテンを中心に部屋全体の配色バランス、家具調度の品の良さ、壁に飾られる絵画や花、テーブルセッティング等々、アフタヌーンティーを主催する女主人のセンスと教養が示されるものでしたから、下手なものは使えません。
クロスやナプキンなどは、リネンが上等とされていましたから、きれいに洗濯されていることは当然のこと、アイロンがピシッとかかっていることも大切です。家具や調度のホコリや曇りなどは言語道断、シャンデリア、暖炉、家具等々、部屋中隅々までピカピカでなければなりません。
もちろん、その掃除をするのは、メイドたち。たくさんの広い部屋を徹底的に磨けといわれる使用人たちにとっても、たいへんな労力であったに違いありませんね。
そしてもっとも気を抜けないのが、ティーセット。
部屋の雰囲気やインテリアに合わせつつ、流行も取り入れる必要がありました。時にはオリジナルのティーセットを作って揃えるということもあったそうです。日本でも、旧家などでは家門入りの漆器などをひと揃え持っているお宅がありますが、そんな感じなのでしょうね。
ティーフード
ティーフードは、招待客の顔ぶれや流行を考えてメイドたちが、「スティルルーム」という専用の部屋で作りました。ケースによっては、アフタヌーンティー専門の菓子職人を雇うこともあったのだそうです。
「コンフェクショナリーConfectionery」はキャラメルやボンボン、砂糖がけのフルーツなどのお菓子を、「ペストリーPastry」は、スフレやマカロン、ムースやタルトなどを作る職人のことで、わざわざフランスから製菓職人を呼ぶこともあったのだとか。
アフタヌーンティーはチームプレイ!
さて、たくさんのゲストがやってきます。
一家のプライドをかけた一大企画を成功させるためには、女主人、執事、ハウスキーパー、メイドといったその家のすべての人々のチームプレイにかかっています。
まず、執事らはゲストの誘導。
スティルルームではメイドがお茶を準備し、パーラーメイド(接客を行うメイド)が女主人をサポート。女主人は、多くの使用人たちの頂点に立ちつつ、ゲストにお茶を注ぎ、彼らを楽しませる知的でセンスある会話と優雅なしぐさでもてなします。
ヴィクトリア朝のアフタヌーンティーは、午後4~5時ごろにはじまり、2時間程度で終了しましたが、その後に、ひきつづきディナーとなることもあったそうです。
それぞれの役目をそれぞれが遂行することによって、無事に終了できるアフタヌーンティー、といったところでしょうか。ちょっとスポーツみたいですね。なお、この一大イベントが始まる少し前の午後3~4時ぐらい、使用人たちもスティルルームで、ささやかなアフタヌーンティーを楽しむことができたそうです。