茶税、ふたたび。
ボストン茶会事件にみるように、少なくとも「お茶」が一つの発端となってアメリカ独立戦争が始まったことは確かです。
さて、ではもう一度イギリス政府のお台所事情についてみておきましょう。
1660年以降課税対象となっていたお茶の税率は、独立戦争後さらに上昇しており、アメリカの独立を認めざるを得なくなったころ、1784年には119%にまで膨れ上がっていました。
もちろん、そんなお茶を人々が好んで買うわけはありません。正規ルートのイギリス東インド会社の運んでくる税率の高いお茶ではなく、オランダなどから密輸された「ヤミのお茶」を買う人がますます増えていきました。ということは、正規のお茶を扱う茶商にとっては大損害、見過ごすことのできない事態です。正規のお茶が売れなければ、当然ですが税も徴収できません。かつての「金のなる木」が枯れかかってきたというわけです。
しかも、アメリカでボストン茶会事件が勃発したのは、高い税率のお茶が原因ともなれば、イギリスでも同様の事態が起こらないとも限りません。
トワイニングの若き当主
この時代、かの老舗トワイニング社、4代目当主リチャード・トワイニングは、優れた経営者として頭角を現していました。30代の若年でありながら、茶業者の団体の会長も務めていた逸材です。
お茶をめぐるこの危機的な状況を前に、彼は、大胆な行動に出ます。
たかが茶商の分際で、といわれることを覚悟の上で、彼は当時の首相ウィリアム・ピットに、「茶税の撤廃」を提言するのです。そのかわり、「茶税を撤廃することによって生じる政府の歳入の損失は、茶業者が今後4年かけて、責任をもって国庫に納付する」ということを条件につけました。その結果、1784年「減税法」が通過、119%の関税は、なんと1/10の12.5%にまで引き下げられることとなります。
こうなれば、怪しげな密輸されたお茶やだまされる可能性の高い偽茶を買う必要はありません。正規ルートのお茶は、やがて市中に流通、トワイニング社をはじめとする茶商たちも、順調に販売量を増やすことができるようになりました。それに反比例して、密輸も減少していきます。
めでたし、めでたし……。
と、いきたいところですが、これが実は、さらにイギリス政府のお台所に新たな火の車を呼び込むことになりました。
対清赤字の増加
120%近い関税がかけられていたお茶の税率が一気に1/10になったわけですがら、多くの人々が安くてよいお茶を手に入れられるようになりました。つまり、それまでお茶を買うことが難しかった人たちも、買えるようになったということです。その結果、イギリスのお茶の消費量は、爆発的に増加していくこととなりました。
そう、あの対清貿易赤字の問題です。
イギリスは、清に対して自由貿易と貿易港の拡大を乾隆帝に書面で求めましたが、乾隆帝に拒否されます。引き続き、直接交渉を試みますが、これも失敗。辛抱強く、その後も3度にわたって交渉を試みますが、まったく相手にされません。
すでに述べたように、清にとってイギリスからの輸入品には特に利を見出せるようなものがなかったからです。
交渉が進まない間にも、国内需要を賄うために輸入される膨大なお茶を決済するために、イギリスからは銀が流出していきました。そして、再び「お茶」が世界史を動かす大事件へと発展していくのです。